こころの相談室~ヒーリングハート奈良~|うつ・依存症カウンセリング|奈良県橿原市

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【私の体験より】 アダルトチルドレンの克服

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アダルトチルドレンとは、子どもの頃に家庭内でのトラブルによって、傷ついた子どもの心を抱えたまま大人になった人たちのことをいいます。

私もアダルトチルドレンで悩んでいたことがあり、今は両親ともお互いの話をできるようになっていますが、以前は両親と話すことにとてもしんどさを感じていました。
今思えば、両親に対しては、それまで言えなかったことや、うまく吐き出せていなかったいろんな感情がありました。


両親は、私が幼い頃から喧嘩ばかりで、2人で話をし始めると必ず喧嘩になっていました。
またいつ喧嘩になるんだろうといつも不安で、私にとって家庭は、安心できる場所ではありませんでした。

「仲良くしてほしい」
「仲直りさせないといけない」

私は、自分が安心できる居場所をつくるために、自然とそう思うようになり、両親の喧嘩の仲裁をするようになっていました。

そうしているうちに、両親のことでも、自分に起きていることのように捉えてしまい、相手の行動にばかり意識が向いてしまうようになっていました。

人間関係においてもそういったことがあり、周囲の人達に気を使いすぎてしまっていたので、人と関わることにしんどさを感じていました。


また両親は、子どもに対して過保護で、干渉しすぎてしまうところもありました。

子どものことを思ってくれることは、とてもありがたいことだと、今は思います。
でも以前は、その気持ちを押しつけられているように感じていました。子どものことを考えて言ってくれているとはわかっていても、それが過度になってしまうと、自分には自由がないような気持ちになっていました。

さらに、両親のことを気にするがあまり、親の思い通りになることが自分にとっては安全だと思うようにもなっていました。もうこれ以上干渉されたくないし、傷つきたくないという想いが私の中にあったのだと思います。

でもそうしていると、自分の人生なのに、本当に自分がしたいことがわからなくなっていました。自分で選んでいた道でも、無意識に親の安心する道を選んでいたように思います。



◆  親子関係における愛情とは・・・

親が子どものことを大切に思って、無条件の愛で育ててくれること。今はそこに感謝しかありません。

でも私は、親の愛情をうまく受け取ることができませんでした。
「これを受け取ったら、次は何を求められるのだろう」と不安だったからです。

両親は、過度に子どものことを心配するところがあり、「こうしなければいけない」「そうしてはいけない」ということを頻繁に言っていました。

そのようなことから、私の頭の中では、両親の言葉が自然と出てくるようになり、その時々で「〇〇しなければいけない」と思うようになり、息苦しさを感じていました。
また、何かをしようとする時も「〇〇してはいけない」と自然に思うようになり、ストップをかけられているように感じていたこともありました。

親の立場からすると、「子どもには嫌な思いをしてほしくない」「安全な道を歩んでほしい」という想いや期待があったのだろうと今は思います。

でも以前は、親の愛情を押しつけられているように感じていましたし、受け取ることが重たく感じていました。


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「親の愛情って・・・何だろう?」と思っていた時期がありました。

押しつけられているようにしか思えなかった私は、両親が私のことを思ってくれていることでも、それは自分ばかりが中心の愛なのではないかと思っていました。両親自身が満足したいだけなのではないかと思っていました。

愛情って、カタチのないものだから、わかりにくい。そうも思っていました。

両親は形として、物を与えてくれることはよくありました。それも愛情表現の一つだったんだなと今は思います。

でも、怒りの感情が強かった頃の私は、「私がほしいものは物じゃないんだ」と思っていました。
何か満たされない心を埋めたくて、嫌な想いをまぎらわしたくて、依存行為がやめられなかったこともありました。


私が本当にほしかったものは、不安な時にその気持ちを受けとめてくれて安心できる感覚や、本当に良かったと心から思える感覚だったんだなと思います。



私が悩んでいた時に、ある心理カウンセラーが、「悩んでいる子どもに、『そうだったんだね、それは辛かったね』と言ってくれる親と、『そんなことを言っているから、ダメなんでしょ。もっとこうしなきゃ』と怒る親。どちらも親の愛情なんだよね」と言っていたのを聞いて、すごく驚いていたのを覚えています。

その時の自分は、同じ愛情だとは思えなかった。


でもそこから、自分の中にある寂しさや怒りの感情を消化し、癒していくうちに捉え方が変わっていきました。
愛情って、表現の仕方が違うことで、うまく伝わる場合もあれば、そうでない場合もあるんだということに気づきました。





◆  わかってほしい気持ち

私は、幼い頃から両親の顔色ばかりを気にして生活していたので、自分が嫌な想いをしていても、そのことを誰かに話すことはできませんでした。

大人になってから、自分の中には、それまでに感じないようにしてきた感情がたくさんあることに気づきました。感じないようにすることで、それ以上傷つかないように守っていたんだなと思います。

私の中には、寂しさや悲しさ、怒りなど、いろんな感情があったので、「どうしてわかってくれないの」という想いを受けとめてあげるのにすごく時間がかかりました。

両親が喧嘩になると、いつも私が悪いように感じていたこともありましたし、その気持ちを両親もわかってくれないと思っていました。

それまで抑えて生きてきた想いがたくさんあったので、どうしていいのかわからないくらい重たく感じていました。このままではもうしんどくて生きていけないとも思っていました。



両親の喧嘩も、客観的に見てみると、いつもお互いの「わかってほしい」という気持ちのぶつかり合いでした。自分の主張ばかりが強く、一方的なことが多かったように思います。

両親も、自分のことを誰もわかってくれないという気持ちが強いから、心が助けを求めていたのかもしれないと今は思います。





◆  受けとめてあげるということ

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親の喧嘩、過保護、過干渉。

どれも、ちょうど良いというところを超えて過度になってしまうのは、自分のことを相手にわかってほしい気持ちや、認めてほしいという気持ちが強くあるからだと思います。


私だけでなく、親自身も、その両親にわかってもらえなかった想いがたくさんあったのかもしれません。だから、子どもにも同じように接してしまうということがあります。


または、子どもの頃に、してほしかったことをしてもらえなかった家庭環境から、両親は子どもに対してどう接していけばいいのかわからなかったのかもしれません。


愛情表現の仕方も、自分の親にしてもらったことは子どもに対しても自然にできるのですが、してもらえなかったことをしてあげようとすることは難しいことでもあります。


親も子どもの頃に、両親から、そうされたら嫌だったことや、言われて傷ついたことがあったかもしれません。

でも、またその子どもに対して同じ表現の仕方になってしまうのは、子どもの頃は家庭での人間関係がすべてなので、たとえ嫌だと思っていたことでも、無意識に心が親の愛情を感じ取っているからです。


大人になってからそのことに気づいた時、子どもの頃に傷ついた心を本当の親に癒してもらうことはできませんが、カウンセリングを使ったり、向き合ってあげたりすることで癒していくことはできます。


わかってもらえなかった想いを受けとめてあげる。


一つずつ見てあげることを続けていくと、だんだん気持ちが軽くなっていきます。

そして、今まで自分の気持ちを抑えることに使っていたエネルギーは、別のことに使うことができるので、自然と自分がしたいように行動できるようになります。


ただ、傷ついた心を癒してあげるということを最初からすべて自分でしようとすると、抑えていたものがどんどん大きくなって、収拾がつかなくなってしまうことがあります。


まずは誰かに受けとめてもらうことで、軽くしてあげることも大切です。そうして続けていくと、だんだん自分の中で、うまく受けとめてくれる心が育っていきます。


一人で抱え込まず、どうぞお気軽にご相談ください。

 
2020年09月12日 12:18

【私の体験より】引きこもりからの歩み③

自分の問題をなんとかしたいと思って、電話で相談したり、カウンセリングを利用したりしていましたが、最初は自分のことをうまく話せず、苦労しました。

特に過去のことを話すのが苦痛で、嫌になっていた時もありましたが、そんな時に見つけたのがNLPの手法でした。

NLPには、過去の出来事を癒すセラピーがあり、その方法を使うと、うまく話せなくてもイメージの中で癒すことができるので、私には合っていました。
ただ、一人でワークをやろうとするとうまくいかないことがわかり、もっと学びたいと思って専門学校へ行くことにしました。


専門学校は3か月間の日程でしたが、それまでほとんど家にいたので、なかなか慣れず、途中で体調を崩してしまい、何か月か休学していた時期もありました。
すべてを学び終えるまでに時間がかかりましたが、私にとっては、逆にそれが良かったのです。

最初に学んでいたクラスは人数も多く、ワークも難しくて重荷になっていましたが、復学後に入ったクラスは人数も少なくて、自然と出席できるようになりました。

それは、そのクラスの講師やメンバーが途中からの参加だった私を快く迎えてくれて、いろんな話をすることができたからでした。

自分のことを詳しく話しても、みんなは受け止めてくれ、いつもと変わらず接してくれた。
私はそのことで安心を感じることができました。


正直、専門学校に通っていた時は、体調も良くありませんでしたが、そんな自分でも続けることができ、そこから大きく変わっていきました。


「そのままの自分でも行けるところがある」
「しんどい時に会える人がいる」


そんな人に出会えると、外に出て何か問題が起こっても、また話してみたらいいんだ、相談すればいいんだと思えるようになります。


「否定せずに、今のそのままを受けとめ、理解してくれる」
このことはとても大切なことで、前に進む力になります。

しかし、誰でもいいというわけではありません。しっかりと見極めることも必要です。


何かを少しずつ、少しずつやってみる。うまくいかないことばかりかもしれませんが、思いがけないものを得られることもあります。

一度に答えを求めるのではなく、だんだん上がっていくことが大切だと思います。

 
2020年01月12日 17:22

【私の体験より】引きこもりからの歩み②


前回の続きになりますが、家で過ごす時間が長かった時は、どのように過ごしていたのかというと、掃除をしたり、料理をしたり、あとはFX(為替取引)をしたりしていました。

元々、仕事をしていた時から、投資に興味があり、時間ができたら投資のことを学びたいと思っていたので、本を買って読んだり、トレーダーのホームページやブログを読んだりして、FXのことを学びました。

最初は、少額から始めて、損をしても100円という感じで設定していたのですが、だんだんそれが変わっていってしまいました。


というのも、卵巣嚢腫が再発して薬で治療していた時は、薬を飲むことで体の痛みはなくなるものの、副作用で精神的に不安定になり、眠れなかったり、イライラしたり、落ち着かなかったりといった状態を何かでまぎらわしたくて、FXに夢中になっていました。

FXは、家でパソコンやスマートフォンを使って簡単に取引ができるもので、少額でも取引ができるので始めやすかったということもありました。

さらに、FXは夜にニューヨーク市場が始まるので、眠れない不安な時でも、取引に夢中になっていることで一時的に落ち着けるようになっていました。そうしているうちに、FXがないと過ごしていけないようになって、やめられなくなっていました。


オンラインゲームなどのゲームに夢中になってしまい、やめられなくなって、日常の生活に支障をきたしてゲーム依存症になってしまうということがありますが、私の場合はそれが為替取引でした。


このままではいけないと思い、FXをしないと不安で仕方なくなっていた時、誰かに話そうと思って電話していたのが、心理カウンセラーでした。


それ以前から、心療内科や精神科に行って、相談できる人がいないか探していたのですが、その時の私は、実際に誰かを目の前にすると、自分が相談したいと思っていたことが頭の中からすべて消えてしまい、言葉にできなくなってしまっていたので、電話で相談できる人を探しました。

ただ、カウンセリングといっても、1回で問題を解決できるものではなく、それですぐに引きこもりや依存症が治るわけではないのが難しいところではありますが、だんだん変化していく中で、次は、新たに自分のしたいことをしようと思うようになりました。そのことが外に出るきっかけになりました。

 
2020年01月08日 18:07

【私の体験より】引きこもりからの歩み①

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ブログのページを見てくださって、どうもありがとうございます。

今回から少しずつ、私の体験を書いていきたいと思います。

なにかの参考になれば幸いです。


私は、約5年間、ほとんど家で過ごしていた時期がありました。
近くのコンビニまで散歩に行ったり、週に2回くらいは買い物に行ったりしていましたが、家族や親戚以外の人と会うことはほとんどありませんでした。


きっかけは、体調を崩して仕事を退職したことでした。

卵巣嚢腫という婦人科系の疾患で、最初の2年間は、治療したり、手術したりで、体がうまく動かなかったこともあり、実家で療養していました。

その後は、一人で暮らすようになり、自分の身の回りのことはできるようになったのですが、仕事をしていた時のように毎日活動することができず、その後の3年間で卵巣嚢腫が再発していたことで体の痛みもあったことから、外に出ることが億劫になってしまい、家で過ごしていました。

ましてや外に出て誰かに会おうなんて、思いませんでした。

私にとって、人に会うということは、仕事をしていた時のような自分でないと会えないということがありました。

「元気になったら会おう」
そう思っていましたが、体の痛みは3年たっても完全に消えることはなく、このままの状態ということがどんどん不安になっていきました。



「8050問題」というように、引きこもりが社会問題になっているということがよくニュースなどで報道されていますが、
「ひきこもり」とはいっても、そうなっているのには理由があり、意味があるからそうなっているのだと思います。


「私だってできることならもうとっくに仕事に行っている」
「頑張ってどうにかなるものでもない」
そのときの私はよくそう思っていました。

そこからどうなっていったのか・・長くなってしまうので、また次回書きたいと思います。
 
2020年01月02日 17:57
所在地 奈良県橿原市
営業時間 10:00〜19:00
定休日 木曜日
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